英会話フレーズ

【近世編】イギリスの歴史を英語でサクっと学ぼう

2021年10月19日

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こんにちは。会計英語アカデミー運営者のわだけんです。

本日の記事では、「イギリスの歴史(近世編)」で重要な英語表現を紹介したいと思います。英語中級者からのレベルアップにお役立ていただけると幸いです。

◆前回の記事◆【古代~中世編】イギリスの歴史を英語でサクっと学ぼう

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近世

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百年戦争の後、1455〜1485年までイギリスで内乱が勃発します。ランカスター家(House of Lancaster)とヨーク家(House of York)による後継者争い(fight over the throne of England)で、両家の家紋から「バラ戦争(Wars of the Roses)」と呼ばれます。30年に渡る内乱の末、ランカスター家の一族であるテューダー家のヘンリーが、ヨーク家のリチャード3世を倒し、ヨーク家のエリザベスと結婚することでバラ戦争は終結します。

Henry defeats Richard of York and marries Elizabeth of York, which units the Houses of Tudor and York.

ヘンリーはヨーク家のリチャードを破り、ヨーク家のエリザベスと結婚することでチューダー家ヨーク家を統合します。

 

1485年、ヘンリーはバラ戦争の終結とともにヘンリ7世として即位し、チューダー朝(Tudor Dynasty)を成立させます。「即位する」は英語で"assume the throne"と表現し、動詞に"take(手に入れる)"や"ascend(地位が上がる)"が使われることもあります。

Henry assumes the throne as Henry VII, launching a new Tudor Dynasty in 1485.

ヘンリーがヘンリー7世として即位し、1485年チューダー朝が新たに誕生する。

 

ヘンリー7世の息子ヘンリー8世は、ローマ教皇(pope)と対立し1534年に首長法(国王至上法 "Act of Supremacy")を議会で制定させます。ヘンリー8世はイギリス国王を教会の首長(Supreme Head)とする宗教改革を行い、イギリス国教会(Church of England)を創始します。

The Act of Supremacy in 1534 declares King Henry VIII and his successors as the Supreme Head of the Church of England, replacing the pope.

1534年に制定された首長法では、ヘンリー8世とその後継者たちを、ローマ教皇に代わるイギリス国教会首長と定める。

 

エドワード6世の死去後、女王メアリ1世(Mary I)がイギリス史上初めての女王となります。母がスペインの王女キャサリンで、熱心なカトリックの信者であったメアリ1世は、イギリスをカトリックに戻す「カトリック復帰策(Counter-Reformation of Queen Mary I )」を実施し、また、スペインの皇太子フェリペ(後のフェリペ2世 "Philip II of Spain")と結婚します。

ちなみに、元々はジェーン・グレイがイギリス史上初の女王となる予定でしたが、在位わずか9日間でメアリー1世により廃位され、その約半年後に大逆罪でロンドン塔にて斬首刑に処さます。ロンドンにあるナショナルギャラリーに「レディ・ジェーン・グレイの処刑」という絵画はかなり迫力のある絵なので、立ち寄る機会のある方はぜひ鑑賞してみてください。

Mary I, also known as Bloody Mary attempts to reverse the English Reformation which begins during the reign of her father, Henry VIII.

「血のメアリー」と呼ばれるメアリー1世は、父ヘンリー8世の時代に始まったイギリスの宗教改革を覆そうとします。

 

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1559年、メアリ1世の次に王位に就いたエリザベス1世(Queen Elizabeth I)は、イギリス国教会の礼拝の統一基準を定めた「統一法(The Act of Uniformity 1558)」を制定します。また、1588年の「アルマダの海戦(the Spanish Armada)」で当時太陽の沈まぬ国(the empire on which the sun never sets)といわれたスペインのフェリペ2世を破り(defeat)ます。1600年には、「東インド貿易会社(East India Company)」を設立し積極的なアジア貿易を行います。

Philip II of Spain attempts to remove Protestant Queen Elizabeth I from the throne and restore the Roman Catholic faith in England but England defeats the Spanish Armada in 1588.

スペインのフィリップ2世は、プロテスタントの女王エリザベス1世を王位から追い出し、イングランドにカトリックの信仰を復活させようとするが、イングランドは1588年にスペイン無敵艦隊撃退する

 

1603年、生涯未婚で子どものいないエリザベス1世が死去するとチューダー朝は断絶し、王位継承者はスコットランドの王家ステュアート家から迎えることとなります。スコットランド王家がイングランド王家を兼任する、スチュアート朝の始まりです。

Elizabeth I of England dies without issue in 1603, and James VI of Scotland succeeds to the thrones of England and Ireland as James I.

1603年、イングランドのエリザベス1世は子どもがいないまま亡くなったため、スコットランドのジェームズ6世が、ジェームズ1世としてイングランドとアイルランドの王位を継承する

 

スコットランド女王メアリ=ステュアートの息子ジェームズ1世は、「王権神授説(divine right of kings)」を主張し議会と対立するようになります。

James I sets out the divine right of kings, explaining that kings are higher beings than other men for Biblical reasons.

ジェームズ1世は王権神授説を定め、王は聖書上な理由から他の人間よりも上位の存在であると主張する。

 

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ジェームズ1世の息子チャールズ1世は、父の王権神授説を受け継ぎ絶対王政を維持しようとします。1628年、議会の「権利の請願(the Petition of Right)」を無視(breach)したため、1642年に「ピューリタン革命(the Puritan Revolution)」が始まり、内戦で国王軍は議会軍に敗れ、チャールズ1世は1649年に処刑(execute)されます。

Charles I believes in the divine right of kings and breaches the Petition of Right, which leads to his execution for high treason in 1649.

チャールズ1世は王権神授説を信じ権利の請願無視したため、1649年に大逆罪で処刑されてしまう

 

ピューリタン革命で処刑されたチャールズ1世の息子チャールズ2世は、クロムウェルの死後、1660年に「王政復古(Stuart Restoration)」によって即位します。

1685年、チャールズ2世の弟はジェームズ2世として即位し、カトリック復興を強行しようとしますが、議会の反発を受け、1688年の「名誉革命(Glorious Revolution/Revolution of 1688/Bloodless Revolution)」で王位を失います。

Catholic king James II is replaced by his Protestant daughter Mary II and her husband, William III of Orange during the Glorious Revolution.

名誉革命では、カトリックのジェームズ2世に代わり、プロテスタントである娘のメアリー2世とその夫であるオラニエ公ウィレム(ウィリアム3世)が後任に就く。

 

1707年、イングランド王国がスコットランド王国を併合(unite)して大ブリテン王国(Great Britain)が成立します。

In 1707 the Kingdom of England and the Kingdom of Scotland are united into one kingdom by the name of Great Britain.

1707年、イングランド王国とスコットランド王国は統合され大ブリテン王国という名の1つの王国となる。

 

17世紀後半から19世紀初頭にかけて、イギリスとフランスは北米やインドにおいて激しく植民地(colony)争いを繰り広げます。これを英仏植民地戦争(第二次英仏百年戦争"Second Hundred Years' War")といいます。

Great Britain and France fight off and on for more than a century to determine which nation would dominate Europe and the world colonies.

イギリスとフランスはヨーロッパと世界の植民地を支配する国を決めるために、1世紀以上にわたって戦い続ける。

 

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18世紀後半、機械工業や鉄鋼業、石炭業の発達、鉄道や蒸気船の実用化といった「産業革命(Industrial Revolution)」が起こります。後にイギリスは「世界の工場」と呼ばれるようになります。

The Industrial Revolution is marked by a number of events: the transition from hand production methods to machines, iron production, the increased use of steam and the rise of mechanized factory systems.

手作業から機械への移行、鉄の生産、蒸気の利用拡大、機械化された工場システムの台頭など、産業革命の時代には様々な出来事が起こる。

 

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1877年、ヴィクトリア女王はインド皇帝を兼ねることとなり、インドをはじめとする広大な海外植民地を支配し、「大英帝国(British Empire)」の繁栄を謳歌します。

Queen Victoria is crowned the Empress of India during the British Empire.

大英帝国時代、ヴィクトリア女王がインド皇帝となる

 

最後に

いかがでしたか?

イギリスの歴史を英語で学ぶ土台づくりとして、この記事が参考になったら嬉しいです。

 
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