こんにちは。会計英語アカデミー運営者のわだけんです。
英語中級者になってくると、「外国人と軽く歴史や文化の話ができる」まで英語で教養を身につけたくなりますよね。
日本語であればスラスラ出てきても、英語だと何というかわからない用語(特に固有名詞)はたくさんあると思います。
本日の記事では、そんな方向けに「イギリスの歴史(古代~中世編)」で重要な英語表現を紹介したいと思います。
英語中級者からのレベルアップにお役立ていただけると幸いです。
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古代
紀元前6世紀頃、大陸ヨーロッパからケルト人が移住します。ケルト人は英語で"the Celtic people"といいます。"Celt"というのは、ギリシャ語の"Keltoi"に由来しており、「野蛮人 (barbarians)」という意味があります。実は、当時ローマ人はブリテン島に住むケルト人のことを「ブリトゥン人」と呼んでおり、「ケルト人」とは呼んでいなかったそうです。18世紀頃になって、この鉄器時代(the Iron Age)に住んでいた民族の集団を「ケルト人」と名付けたようですね。
The Celtic people arrive from Central Europe.
中央ヨーロッパからケルト民族がやってくる。
紀元前55年、ローマ皇帝ユリウス・カエサルがブリテン島に侵攻します。ガリア遠征(the Gallic Wars)でさらに領土拡大を狙ったのですが、ブリトゥン人に抵抗され撤退を余儀なくされます。ユリウス・カエサルは英語で"Julius Caesar"、発音は「ジュリアス・シーザー」です。日本語と英語の表現に乖離があるので注意ですね。「侵入する」は"invade"、「撤退する」は"withdraw"を使って表します。
Julius Caesar invades Britain twice as part of his Gallic Wars but later withdraws.
ガリア遠征の一環として、ユリウス・カエサルはブリテン島に2度侵攻するが、後に撤退する。
43年、ローマ皇帝クラウディウス(Claudius)によるローマ軍の遠征で、ブリタニアはローマの属州となります。皇帝ハドリアヌスの時代には、ケルト人の侵入を防ぐために、スコットランドとイングランド北部の境界線辺りにハドリアヌスの長城を築きますね。「属州」は英語で"province"といい、ローマの属州は"Roman province"、属州ブリタニアは"Province of Britain"と表現します。
Romans conquer Britannia and it becomes part of the Roman provinces.
ローマ人がブリタニアを征服し、ローマの属州の一つとなる。
400年頃になると、ヨーロッパ大陸でゲルマン人の大移動(Germanic Migration)が始まります。この頃、ゲルマン民族の一派であるアングロ・サクソン人(Anglo Saxons)がブリテン島に侵入します。異民族の侵入に耐えられなくなったローマ人は、ブリタニアから撤退し、ローマ帝国によるブリテン島の支配は終わりを告げます。「民族の移動」は名詞で"migration"、動詞で"migrate"、「移民」は"migrant"と表現するのでセットで覚えましょう。
As Anglo Saxons migrants begin to settle in Britain, the Romans withdraw from it.
アングロ・サクソン人の移民がイギリスに移住し始めると、ローマ人はブリテン島から撤退する。
ちなみに、アングロ・サクソン人と戦ったブリトゥン人で伝説の英雄とされている「アーサー王(King Arthur)」は、イギリスの観光地でよく名前を見かけますが、アーサー王物語のほとんどが創作されているため、実在の人物であったかどうかはわからないそうです。
中世
5世紀頃、ブリテン島に移住したアングロ・サクソン人が七王国(Seven Kingdoms)を築きます。ノーサンブリア、マーシア、イースト・アングリア、エセックス、ウェセックス、サセックス、ケントの7つの国です。
As a result of the Anglo-Saxon invasions of Britain, the country is divided up into the Seven Kingdoms of Northumbria, Mercia, East Anglia, Wessex, Essex, Sussex and Kent.
アングロ・サクソン人がブリテン島に侵入した結果、ノーサンブリア、マーシア、イーストアングリア、ウェセックス、エセックス、サセックス、ケントの7つの王国に分割された。
829年、マーシアを破ったウェセックス王国のエグバート王(Egbert)が、イングランドを初めて統一した王となります。エグバートの孫であるアルフレッド大王(Alfred the Great)は、デーン人(ヴァイキング)の侵攻を撃退したうえで改宗させました。アルフレッド法典を制定し、学問の保護に熱心であったことから、イギリス史上唯一の「大王(the Great)」と呼ばれています。
Alfred the Great defends his kingdom against the Viking attempt at conquest and becomes the dominant ruler in England.
アルフレッド大王は、ヴァイキングの征服から王国を守り、イングランドの支配者となる。
1016年、デーン人の王クヌート(King Canute)はイングランド王として有力貴族に迎えられ、デーン朝を成立させました。また、クヌートは同時にデンマーク王となり、ノルウェーやスウェーデンの一部を支配する北海帝国(North Sea Empire)を築きます。
Canute won the throne of England in 1016.
クヌートは1016年にイングランド王となった。
1042年、ノルマンディー育ちでウェセックス王家出身のエドワード懺悔王(Edward the Confessor)がイングランド王となります。「懺悔王」は信仰心が篤かったため呼ばれた称号です。エドワード懺悔王は、ノルマン・コンクエスト以前の最後のアングロ・サクソン系のイングランド王としても有名です。
Edward the Confessor (Edward II) becomes king of England in1042.
エドワード懺悔王の崩御に伴い、フランスノルマンディー公ウィリアム(ギヨーム2世)とハロルド勢力は継承者争い(claim the throne of England)で衝突し、最終的に1066年のヘイスティングズの戦い(the Battle of Hastings)でギヨーム2世が勝利します。ギヨーム2世はイングランド王ウィリアム1世として即位し、ノルマン朝を開きます。この一連の戦いがノルマン=コンクエスト(the Norman Conquest)ですね。
The Normans defeat the Anglo Saxons at The Battle of Hastings and William of Normandy becomes King of England.
ヘイスティングスの戦いでノルマン人がアングロ・サクソン人を破り、ノルマンディー公ウィリアムがイングランド王となる。
ウィリアム1世の死後、ノルマン朝の相続争いが続きましたが、1154年フランスのアンジュー伯アンリが「ヘンリ2世」としてプランタジネット朝(House of Plantagenet)を創始します。
Henry II established the House of Plantagenet in 1154.
1215年、ヘンリ2世の末子であるジョン王(King John)は、国王の徴税権の制限、教会の自由、都市の自由、不当な逮捕の禁止を規定する「マグナ・カルタ(Magna Carta)」に署名しました。ジョン王は、フランスのフィリップ2世との戦いに敗れ、ヨーロッパ大陸の土地の大部分を失ったことから「失地王(John Lackland)」の別名としても知られています。
The Magna Carta is signed by King John in 1215.
ジョン王の息子ヘンリ3世は、マグナ・カルタの規定を無視しようとしたため、シモン・ド・モンフォール(Simon de Montfort)らが反乱を起こし、国王を捕虜にします。1265年、貴族・聖職者とともに騎士と、都市代表を召集する「モンフォール議会」が開かれます。
Simon de Montfort's Parliament is held in 1265.
1265年、モンフォール議会が開かれる。
1282年、エドワード1世がウェールズを征服(conquer)します。また、1295年、貴族・聖職者(clergy, nobles)に加え、州代表の騎士(knights)と都市代表の市民(burgesses)を加えた「模範議会(Model Parliament)」を開催し、この時代から次第に議会制度が定着するようになります。模範議会はフランスの三部会と共に「身分制議会」と呼ばれます。
Edward I conquers Wales in 1282.
1282年、エドワード1世がウェールズを征服する。
The Model Parliament is summoned by Edward I in 1925 to impose taxes upon the citizens to fund the military for future wars.
1925年にエドワード1世が召集した模範議会は、将来の戦争に備えた軍資金を調達するため市民に税金を課すことが目的であった。
1339年、エドワード3世(Edward III)がフランス王位の継承権を主張し、ヴァロア朝のフィリップ6世と戦闘を開始し英仏百年戦争(the Hundred Years' War)に発展します。両国の戦争は1453年に終結し、フランス内のイギリス王はカレーを残して消滅しました。
Edward III claims the throne of France, which leads to the Hundred Years' War in the 14th–15th century.
エドワード3世がフランスの王位を主張し、14〜15世紀に百年戦争が勃発する。
最後に
いかがでしたか?
今回の記事で、イギリスの歴史(古代~中世編)を簡単にまとめてみました。
イギリスの歴史(近世編)は以下の記事でまとめているので参考にしてください。
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ちなみに、イギリス国王は場当たり金魚さんの記事を参考にして覚えるのがおすすめです。
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